by kii.
Stories

MATADOKOKADE

by kiichan24, 2021年12月23日

一冊の小説が終りを迎えるとき、僕たちは悲しく思うのか、喜ばしく思うのか、寂しく思うのか、人それぞれだろう。めくるたび、心から噴出する感情は違うだろうし、呼び起こされる記憶も違うだろう。PEDROというスリーピースバンドがぼくたちの前から去る。僕にとってそれは一つの小説が終わる瞬間だ。

18年9月、PEDROが始まったとき、僕は絶望に生きていた。明日が怖くて、いや明日そのものが嫌いだったのかもしれない。自らの手でそれを終わらせてしまいたいと何度も考えた。8月、許しがたい出来事があった。会社が傾いた。もうその時には会社は無に帰していたのかもしれない。9月、人が死んだ。会えると思っていた人が、僕の知らないところできっと幸せになっているだろうと思っていた人が、死んだ。自分を殺してやりたかった。本当かどうかわからなくなった。2016年、僕は高校をやめて音楽を、たぶん自分の表現のために上京した。時を同じくして彼女もBiSHに入った。同じような人が同じ時期にいるもんだなと、不思議と応援したい気持ちになっていたら、そんな彼女がPEDROというバンドをやると。始めたPEDROに田渕ひさ子が入ると聴いたとき、心がかすかにときめいた。あの子、ベースやるんだ。すごい。スーパーギタリストを引き連れて、どんな歌を歌うのだろう、ぼくはコケてしまったよ。これだけの差ができてしまうんだな。そういう思いだった。
そこからの3年苦痛だらけの日々だった。明日が怖いから、今日が怖いになっていった。
そんな中、ひとりの少女が今にもよろけてしまいそうな足元で、音楽をベースで支えていて、でもそれをさらに包み込むように、毛利さんと田淵さんの音があって、僕はその姿が愛おしく思えた。不安定なのにとっても安定していて、憧れだったのかもしれない。

3年と3ヶ月、今日、PEDROが無期限の活動休止となった。憂鬱と同時に始まったPEDROが、僕の憂鬱を強制的に締めくくって、嫌なこともいいことも全部全部本当だから、ちゃんとそんな日々を愛して生きていこうと、そう聞こえた。今日の終わりと同時に、僕の止まってしまった時間が動き出してしまうような気がする。ぼくはぼくの表現を蔑ろにして生きてきた。生きるめに捨ててきたものがたくさんある。なかったことにしたこともたくさんある。PEDROと歩んだ3年間、とてもつらいことには変わりないけれど、なかったことにはしないさ。音楽とともに生きてきた3年間だから、あと10年は今日の余韻に浸りながら、芸術に戻ろうと思う。今までずっと戻ろうとして諦めてを繰り返していたけれど、3人を見ていて覚悟を決めたよ。今日で終わりにして、ちゃんと芸術に向き合います。

2013 kii