by kii.
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僕たちが見ている世界は立体だ

by kiichan24, 2021年11月28日

目に見えているものは当たり前に立体だ。裏も表もある。側面もある。どんな事も、一方から見てわかるものでは無いのだ。それがこの世の理だ。

人を理解している気になってはならない。人生を歩んだ分、脳は肥えていく。記憶が肥えていく。あらゆる感情を消化して、エネルギーにして、言葉を発していく。きっと、何度も怒り、何度も悲しみ、喜び、時には考えることすらも放棄してしまうような出来事だってあっただろう。マトリョーシカのようにいくつもの隠し持った自分がいても良い。そんな人という生き物を、ほんの少し歩みを合わせただけで、言葉の端を耳にしただけで、理解した気になっては行けないのだ。唯一無二の言葉であり感性であり、同じ月を同じ場所で見ても、同じ言葉が出ようとも,、それはきっと違う色を滲み出させる。すきという二文字すら、唯一無二のすきという感情だ。同じすきなど存在し得ないのだ。それは、内的にも外的にも全てが異なる人生だからだ。血液の色が同じでも、ヘモグロビンの量はきっと君とぼくは違うのと同じ。同じ血液型でも、君の血液を僕に輸血できるとは限らないのと同じ。思い込むのはとっても楽だから、たくさん思い込みをしてしまう。思い込んで、思い込んで、そうしてできた体は常に思い込みをしていなければ不安でいっぱいになってしまう。だから、僕達は想像をしなければいけない。君が発する言葉が、喜びから出てきているのか、はたまた、悲しみからなのか。これはビジネスの話であり、私生活の話でもある。マネジメントの話でもあり、共同生活の話でもある。僕と君が見ている世界が違うのは視力が違うからだ。自分が見える距離は、相手には見えないかもしれない。自分が紺色だと思った色は、相手には水色に見えているかもしれない。普段から僕達は思い込み出できた橋の上を歩いているから、きっと後戻りもできないし、壊してしまえば無の上になってしまうから、進み続けるしかなくて、でも、思い込みの橋であることを忘れては行けないと、しっかり歩みを合わせていかなければならない。余裕を持とう。余裕のない人を見れば、余裕を分け与えてあげよう。ここで言う余裕というのは、水を飲めない人々への寄付というお金かもしれない。電気がなければ回らない社会への労働かもしれない。重い荷物を持った人と分け合いながら歩く横断歩道の上かもしれない。杖を着いたおじいさんと手を支えながら上がる階段の1段目かもしれない。親を知らない子供たちと手を繋ぐことかもしれない。1人で生きれない人間への愛かもしれない。

2013 kii